チェロを懐いて
名取和子


 主人は,写真業を営む商人の家の長男として生まれました。家業はあまり好きではなかったようです。何故か音楽が好きで、楽器なぞ何も無いので板切れになにか針金のようなものを張って、それを指ではじいて音を出してみて・・・・・・。そんなことをしていると親にしかられるので、夜、フトンの中に潜っていつまでも音を出していたのが音楽を始めた(?)きっかけのようでした。そのうちギターを買ってもらえて弾いていた様です。                                 
 両親は一日も早く家業の手伝いをしてほしかった様ですが、どうしても音楽の勉強がしたいという願いを聞き入れてもらえ、父親と共に終戦後すぐ東京に出て来て武蔵野音楽大学を受験しました。受験したと言っても何も出来ず、試験官の先生が「君、楽器は何が弾けるの?」と聞かれ「ハイ、ギターで越後獅子が弾けます」と真剣に言ったら大笑いされたそうですが、今でしたらとても考えられない事ですのに戦後で大学が再校されたばかりの頃で、田舎者の真面目そうな少年を「それでは学校にベース(コントラパス)があるからベースを勉強しなさい」と言われ入学させていただいた様です。
 どっちを見ても何も出来ないのは自分だけで、とにかく頑張らなくてはと思い、寮に入って生活を始め一日の三分の一の八時間を夏休みも冬休みもなくベースを勉強したそうです。 学校の管理人のおばさんに「夏休みぐらい音を出さないで…‥」と、叱られた事もたびたびあったようです。

 大学を卒業する時には、ベ−スでヴァイオリンの名曲チゴイネルワイゼンを弾いて(最近ではそうめすらしい事ではありませんが)当時は朝日新聞に大きく取り上げられ、世の中の話題になった様です。当時色々なオーケストラから大事な演奏会の時は引っぱり出された様です。
 そんなベースでの活躍中、ふと隣のパートで弾いているチェロの旋律に魅せられて、チェロを勉強し始め、中島方先生、後に清水勝雄先生に教えていただき、下宿していた家の人々の暖かい理解の中でやはり学生の時と同じ様に勉強し、数年後、毎日音楽コンクールに第二位で入賞致しました。「チェロを治めたのが遅かったので一生たいしたチェロ弾きではなかったけどチェロを通して音楽を学ぶ事が出来た事は本当に幸せだった」と言っておりました。



 四十歳の中ばで読売交響楽団に入り退団するまでの十五年間、世界中の多くの素晴しい指揮者に「本当に良い音楽の勉強をさせてもらえた」といつも言っておりました。
 昭和三十四年会の天皇の御成婚の年に私共も結婚し、この和光市に住みました。この三十四年間、家でも時間のゆるす限りよく勉強する人でした。「今日はもう勉強終りにして八時から面白い時代劇があるから観よう」と言っておいて「やっぱり十時までもう少し弾くね」と言う人でした。
 棚の楽譜を整理して「もう僕の人生の残りの時間では、もう一度全部この楽譜を勉強する時間は無いと思うので勉強出来そうな楽譜だけ別こしようと思うんだ」と言って、別の棚に並び替えたばかりでした。
「人間はね、七十五歳まで訓練すれば筋肉は成長するそうだよ。だから七十五歳まではチェロを弾くんだ…‥。七十五歳になったらもう弾くのはやめて音楽を聴く楽しみにするよ」と言っておりました。

 今度の音楽教室で、子供達に楽器紹介の時、「僕はバッハを弾こうと思うんだ。いつもは”白鳥”ときまっているんだけどむずかしくても子供達に無伴奏を聴かせたいんだ……。」と言って弾いていました。
「どんな田舎の片すみで演奏するのでも聴いている子供達の中から今に世の中を動かす事の出来る人間が出るかもしれないのだからせい一杯良い演奏をしようと思う‥…」と。「このパッセージ難しくて若い時いくら弾いても弾けなくてね。
先生に”一日百回弾きなさい”と言われてね。このひとふしが弾ける様になるのに三十年もかかってやっと完ペきにいつでも弾ける様になったんだよ。そうしたら不思議なんだけど他の曲でも色々難しいところが弾けるようになるんだよね」。

 なんですか、主人の良いところばかり思い出して書いてしまって。
夫としての主人は子供の様なところの有る人でどちらかと言うと普段はやさしい人なのにささいな事に怒りっぽく、私が台所で片づけをしながらあけっぱなしにして置いた戸棚の扉に頭をぶつけ「きおつけなさいよッ! 僕は髪がないから痛いんだよッ! いちいち開けたら閉めなさいよ。」なんて怒り出し、しまいに大げんかになり
「あんたとは一緒に暮せないよ」          
「そうですね。別れましよう!」
 となるまでけんかした日もありました。どういう訳かどんなに怒ってもすぐけろっとする人で単純で操縦しやすい人でした。
 結婚記念日と私の誕生日のプレゼントは、この三十四年間一度も忘れた事なく、夫として暖かい誠実な人でした。
 主人にとって−番大事だったのはチェロを通して音楽を勉強する事でした。そういう夫のそばで生活を共に出来た事の幸せをかみしめています。

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